経験を積み上げるって過酷。

結局は自分で積み上げるしか無いってこと。

私はブログで食っていこう!とか考えたこともないし。

開業して食っていこう!とか考えたこともない。

というのも、実力が圧倒的に足りていなくて、その実力ってのがどれだけ足りていないかも分からない阿呆だから。

救いなのはその阿呆ってのが分かっているってこと。

客観的に信用にとる人物ではない。

結局、積み上げたものがない。あるいは殆ど無いってこと。

何かを伝えるだけの、何かを学習したわけではないし、体験したわけでもない。

少ない人生の中で、大きな価値を生み出すとも思えないし。

拙い文章を羅列していることもなんの価値もないとも思う。

きっと、何かしらか文章を書くことが好きだったり、言葉を考えるって行為が好きなだけなのかもしれない。

積み上げたものがないからこそ、自分が何が好きで、自分が何者であるのかすら自分で証明することができないわけで。

浜名湖の〜

釣り好きの〜

サーフィンが〜

音楽に精通する〜

具体的なイメージが持てるだけの、自分を積み上げれていないんですよね。

国家資格を武器にしてみたり、

黒帯を武器にしてみたり、

そういうものって自分ではない誰かが作ってくれた肩書きで、そんな人の作った肩書きの土俵で戦っているだけ無能なんだなぁと。

自分たちのしている仕事は〜って文句を言っているけど、自分たちのしている仕事は「会社」が持ってきてくれているもので、自分で作り出すことはできていないんですよね。

仕事っていう労働を与えてくれているっていう環境を提供できる会社ってすごい。

職場ってすごい。

それだけ信用があって、その信用を肩書きを武器に名を名乗れるのだから。

本来であれば、自分は積み上げたモノで戦っていかなくてはならないんだろうけど、どうも弱気だ。

積み上げたものがなければ、何かに熱中することもできなければ、何かに。

経験を積み上げる。

なんの経験を積み上げたいか。

自分が何が好きで、自分は何に興味を持てるのか。

自分が何者であるかを、自分で知るために経験するしかなくて、経験を積むしかなくて。

その上で、肩書きを作る。

そのためには人生ってのはめちゃくちゃ時間が少ない。

自分が好きなのは言葉をつなぐこと?

だからこそ、ブログを書いてみたりしているのかも。

言葉を出せば出すだけ、見えてくる気もする。

少なくとも、何にも作業をしてない時を思うと考えが形となり、まとまっていく感じはある。

この言葉が誰かに伝わるわけではないけれど、

誰かに伝えないといけない!ってわけではないけれど。

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