看護観を武器にせめて立てる先輩・上司はクソ。本当に大切なものがある

看護師の間ではよく使われる言葉があります。

その言葉とは「看護観」。

あなたの看護観はどうなの?どういう風な看護観を持っているの?

などと攻めてたてる中身のないクソが先輩風情を持って、なんやかんや言うてくる場面がちょいちょいあります。

断言して、そんな単語を容易に使うやつはクソで相手にしなくてOKです。

そもそも、看護観を語る前に看護の仕事って何でしょうか。

一般的には診療の補助、診察の補助、日常生活援助

なんて3つの言葉が引き合いに出されますが、はっきり言ってこれは医師が生み出した言葉にすぎません。

医師が自分の仕事の補助をするために、打ち出した言葉で、そんな曖昧な意味合いを持つ職業なんて他にありません。

優れた医師は、患者を治すことができるでしょう。

優れた理学療法士は、患者のリハビリを支えることができるでしょう。

優れた介護士は、介護ができる。

それでは、看護師は?

かなり曖昧な立ち位置で色んなことに手を伸ばしすぎている職業の筆頭です。

何をやっているのかはっきりしない割に、名前ばかりが浸透している。

そんな曖昧な職業であることは否めません。

つまりは、そんな曖昧な職業の中で自分の「観」を語るなんて難しいことこの上ない。

自分の感性を育て、仕事の中で有意義さを見出していってこそ、ようやくその世界観が語れるようになってくるわけです。

そんじょそこらの並大抵の努力でわかる言葉ではありません。

成し遂げたこともなく、経験だけが横行して、ばかのひとつ覚えのように吠えることしかできないクソが看護観なんて言葉を使うのだと思います。

信念を持ってようやく感じることのできる世界観。

それを武器にするなんて、とんでもない輩です。

とはいえ、成長を続けなければ看護師としての職業も終わり。

自分の中で信念となり得るほどに患者のことを考え、自分の職務に達成感とやりがいを持っていけるよう努力を続ける必要があるかと思います。

今の世の中スマホですら日々よりアップデートがされている時代。

自分が変わっていかなくては、アップデートを続けなければならないわけです。

自分にしか身につかない、自分だけの世界観を養い患者に還元していかなくてはなりません。

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